「曼珠沙華 くさむらの中に 千万も咲き 彼岸仏の供養をするか」
この歌は、木下利玄という歌人の作品ですが、秋のお彼岸になるといつも思い出し、つい口ずさんでしまいます。
当山圓藏院の庭のくさむらや竹藪のなかにも、お彼岸の一週間が終わってから、やっと彼岸花が咲きだし、いまや満開となりました。それでも、蝉がまだ鳴いていて、きょうは気温も30度ちかくまであがるそうです。地球の温暖化が心配になった、晩夏と初秋でした。
とはいえ、庭の桜は紅葉をはじめ、大銀杏、栗、柿もだんだんと色づき、元気に実を落としています。秋鳥たちも、ちらほらと見かけるようになりました。自然のカレンダーは、きちんとはたらいてくれています。
歌といえば、国文学者で詩人、歌人でもあった折口信夫が、こんなことを綴っていました。
「鎮魂とは、良き魂を自身の体内に招き入れることである。」
まさに、そうだと思います。ご法事やお墓参りは、もちろん、生前の故人やご先祖に感謝し、敬慕の念をこめておこなう鎮魂です。しかし、それは同時に、鎮魂をおこなう者の肉体に「良き魂」、善き心を招き入れることでもあります。
私たちは、現実社会に生きていると、自分自身を「善」なるものと信じることがむずかしくなってきます。よって、ご法事やお墓参りなどの機会に慈悲の心を育み、お寺で静謐な時間をすごすことで、本来の自分をとりもどし、明日を生きる糧にするのです。善き心を招き入れることで、自分自身や家族が幸福になるばかりでなく、他者や社会に貢献できる生き方も可能になってゆくのではないでしょうか。自分のために咲く彼岸花が、私たちの眼をも楽しませ、心を癒してくれるように。
折口のいう「良き魂」は、仏の心、でもあります。ご法事やお墓参りは、信仰であるとともに、健やかに明日を生きるための先人の知恵でもあるのです。