花の寺 圓藏院

2022.09.24 ちいさな法話(1) お彼岸の心

今年も、お彼岸の季節がやってきました。
当山円蔵院にも、早朝からお墓参りの檀信徒がいらしています。
それにしても、近年「春彼岸、秋彼岸とはなんですか?なにをすればいいのですか?」と尋ねられる方が多くなりました。
お彼岸のことを仏教では「到彼岸」といいます。到彼岸とは仏僧がする修行のことで、彼岸(悟り)に到(いた)る、という意味。到彼岸はインド仏教でいう「パーラミター」(波羅蜜多)の翻訳語で、六波羅蜜(ろくはらみつ)、つまり涅槃(悟りの世界)に到達するための六つの修行をさします。「涅槃」が転訛して「彼岸」となったという説もあります。
その六つの修行とは…、
布施(自らの恵みを他者に分け与える)
持戒(自らを戒め慎む)
忍辱(自らの内外を反省し苦しみを忍ぶ)
精進(自らの悪を断ち正しき道を邁進する)
禅定(自ら座して心身をゆるぎなく安心させる)
智慧(自らも他者もよりよく生きるための行動指針を考察する)のこと。
インド、中国、東南アジア、日本各地で仏教徒たちはこの修行をしてきました。その姿に憧れた衆生たちが江戸時代に宗教行事として確立したのが、春と秋のお彼岸なのです。
本来の「到彼岸」と現在の「春と秋のお彼岸」は、だいぶ違うと思いませんか?
お彼岸にお墓参りをするのは、彼岸(涅槃、極楽浄土、悟りの世界)にいらっしゃるご先祖、ご家族や大切な方を偲び、再び逢いたいという祈りと願いからでしょう。その祈願において、彼岸(あの世)と此岸(この世)がつながる、ともいえましょう。
もともと日本各地には、田植えの春と収穫の秋に先祖参りをするという、農耕社会の風習がありました。民俗学者の柳田國男の言葉を借りるなら、仏教の到彼岸は春と秋のお彼岸という「祭り」になったのです。ここでいう、柳田民俗学の「祭り」とは、神、仏、自然との「交感」を意味します。お正月とお盆が一種の先祖祭であるように、日本のお彼岸も仏教、神道、儒教と全国各地の民俗信仰が永い時をかけて複雑に混淆した姿であるのでしょう。
以上の結論を申し上げますと…春と秋のお彼岸には、
・お墓参りをしながら、亡き家族を偲び感謝する。
・近親のみならず、遠い家族や他者たちのおかげで自分がこの世に誕生したのであり、いま自分がここにいることの不思議なつながりやご縁に思いを馳せて感謝する。
・これにより、自分や家族を生み育む自然との一体感を再認識し、地球とそこに暮らす人々や諸生命の大切さを再認識する。
・そんな、お彼岸で得た穏やかな心で、いまの自分をみつめなおし、これからの人生やより良い社会を築く道を考えてみる。
ということに尽きます。
これが、本来の仏教の「到彼岸」に、古来の「春秋の先祖供養」が合流した、春秋彼岸の心と姿なのです。